月別アーカイブ: 2014年7月

プラトン哲学

モデル言語は
ある対象について観察者のそれぞれ異なった理解を
組み立てるような方法で学習する
構成主義的自己教育からは
誘導されないようにデザインされている。
例えば多面体をどれほど対象化しても
ベクトル平衡体は発見されなかった。
正多面体(Platonic Solids)が引きずる固体的概念を破壊するには
ギリシア時代のプラトン哲学から
25世紀も経過しなければならなかった。
多面体は固体的な概念から再構成された
静的な対称性を形態化したにすぎない。
事物ではなく
自然の先験性を再現したシナジェティクス・モデリングを
ありのままに観察することによって
言語は非常に鋭敏になる。
モデル言語を生成するシナジェティクス・モデルは
先験的な概念の宝庫である。

手の機能

コウモリの飛行能力は
手の骨格と手の筋肉と皮膚が進化した結果である。
手の指の間の領域が
鳥の水かきから水力を形成するように
揚力を生成する膜面を形成しているからこそ
空中で自在な方向転換ができるばかりか
その大きな手を閉じて(あるいは翼を折り畳んで)
後足だけで逆さにぶら下がることができる。
彼らは夜間の空中を高速で機敏に移動するために
光学的な視力と後足の筋力を失ったのである。
人間の視覚と小さな手は
<思考する精密機械>として機能している。
とりわけ、シナジェティクス・モデリングにおいては。

続)安全側

安全装置(fail safe)とは
緊急時や非常時に
<安全側>に作動するシステムである。
日本製の安全装置は
非常時により権力構造が強化するように
仕込まれていたので
<安全側>にはけっして作動しなかった。
権力構造は
つねにより大きな失敗(fail)によって
維持される反自然そのものである。

安全側

われわれは普段使わない数々の能力を備えている。
誰かがもし視力を奪われて生まれても
自然は彼らがうまく暮らせる方法を編み出す。
自然は安全装置(fail safe)を授けている。
自然はけっして失敗しないシステムを発明している。

自然科学

雑草と共存可能な無肥料で不耕起の
無農薬栽培方法を
もし自然が許容しなければ
どんな植物も成長できなかっただろう。
自然農は自然科学に属する。
自然科学は
日本では単に理系のカテゴリーに属するだけで
自然農は科学として認識されていない。

夕暮

闇夜に蛍が飛ぶ交う前の
薄暗い夕暮を飛ぶコウモリを
無傷で捕獲する方法を考えている。
彼らの翼は伸縮性のある膜でできている。
傷ついた皮膚のような翼から流れる血は赤い。
人類は1種類だが
彼らは数百種いるらしい。
哺乳類で完全な飛行能力を持ったのは
彼らと人類だけだ。

方向性

無数の選択肢とその組み合わせから
生活する方法は
混乱を回避できない。
選択に恣意性があるかぎり
最適解は存在しないか
最適解がつねに変動している場合
個々の特定の仮説を検証しているだけである。
人間の混乱を回避する知識は
ひたすら増えるばかりである。
生命に方向性を与えるのは
混乱からではなく
無目的に起きる変異を選別する能力だ。
自然選択(natural selection)以上に
より高い秩序は形成されない。

続)具体性について

具体性に置き換えるプロセスは
特許権の取得方法に関わっている。
原理の発見者でなくとも
特許権はその応用技術という
無数の具体性によって取得できる。
原理の発見者の優先権を
法律的に無化するための
グランチ(=法律家資本主義)の最大の戦略である。

表看板

日本の博士号を授与する審査機構は
現代人の生活に必要な基本的なテクノロジーの開発に
どれほど貢献しているのだろうか。
初期の船や航空機と自動車
そしてパソコンは
すべて大学の外で開発されている。
ライト兄弟は
自転車屋を経営しながら機体の開発を続け
エンジン付きの有人飛行に世界で初めて成功している。
そのパイオニアたちが
博士号の取得に専念した歴史は存在しない。
大学の博士号の審査機構がこの真実の歴史を隠蔽するために
科学者の生活を破壊しない配慮を持ち出しているならば
科学や学問の自由を追求する場などは表看板にすぎない。
彼らの行為はまったく黄昏れている。

具体性について

具体性に置き換える認識上の誤謬は
グランチが意図的に引き起こしている。
武器製造のテクノロジーの歴史では
圧倒的に理系学生の青田買いは
教育的効果の一つとして公認されてきた。
具体性に置き換える認識とその教育は
個々人に小さな権力構造と専門分化の加速とを
手っ取り早く再現する習慣に過ぎない。
具体性に置き換えるプロセスでは
メタフィジックスへの認識が
ほとんど生成されないばかりか
観察行為が不在になるように
試験を前提にした学習などによって
情報が予めパッケージされるのである。
そして、未知なる存在への探査方法の情報は
このパッケージには含まれていない。
未知なる存在への探査こそ
具体性に置き換える認識方法を
破壊するシナジェティクスの起源である。
シナジェティクスは存在のすべてを扱うのである。

2つの虹(RainbowとMoonbow)

夕暮れ時の雷雨が引き起した虹の後は
梅雨が明ける。
プリズムでは内部での屈折は2回だけど
虹は球体内部に入る時と外部に出るときの
2回の屈折だけはなく
内部反射が複数回ある。
内部反射の回数を重ねると光の強度はより劣化する。
水滴の半径がほどよく小さい場合
赤から紫までの虹の幅が広いスペクトルが現れる。
もっとも美しい幅の広い虹の内部反射は
最大2回程度で生成しているだろう。
観察者が地上にいるかぎり
虹はつねに半円型のアーチである。
Rainbowは<雨の弓>ではなく
空気中の不連続な水滴による
太陽光の屈折と反射の集積なのである。
太陽があるかぎり、虹の見えない場所はない。
十分な光を放つ満月の時に
月光による月虹(Moonbow)を見ることができるが
星空のなかで月虹の見える場所は
地球上では限られている。

続)テンセグリティのユーザ

有用さ(=utility)は
目的ではなく、人間の知性の変遷過程なのだ。
メタフィジックスなくして
宇宙の知性を真の有用さに変換できない。
太陽系から細胞まで
すべての構造はテンセグリティである。
無生物にも有機体生命にも、
テンセグリティのユーザの境界線はなかったのである。

テンセグリティのユーザ

テンセグリティを知り
テンセグリティモデルを学ぶと
テクノロジーへの応用を考えるはじめる人がいる。
例えば、ロボットや構造物などへ。
あるいは人体の骨格と筋肉の関係を
テンセグリティ構造に置換する人がいる。
理解するために
抽象性を具体性に変換できる知性を優位にしたいだけである。
これらはすべて具体性に置き換えて有用性(=utility)を引き出す
頭脳の条件反射なのだ。
テンセグリティは、それ自体が
張力と圧縮力との相補的な原理を応用した
テクノロジーである。
人間がテクノロジーを独自に考え出すことなどないのだ。

シナジェティクスの方法

バックミンスター・フラーの
シナジェティクスにはいくつかの間違いが存在する。
他人とは違う新しい事を探究する過程で
他人の間違いを指摘するのも科学論文に成り得る。
しかし、それらの論文が
シナジェティクスを前進させたことはない。
シナジェティクスは
シナジェティクスを探究する過程で
先行する概念をより包括するシナジェティクスを生成する。
包括する行為は
陳腐化する行為から生まれない。
包括的理解は
自らの経験を秩序化するプロセスを含む。
シナジェティクスは
シナジェティクスをより包括する方法を発見する。
その発見には、Webに公開されたバックミンスター・フラーの
テキストとビデオ講義で十分だ。

『コズモグラフィー』

真実をのぞき込む時
深淵に引きづり込まれるように
モデル言語を発見する時
シナジェティクスとデザインサイエンスの
絶えざる相互作用に魅了されるのだ。
『コズモグラフィー』バックミンスター・フラー 著
梶川泰司 訳(白揚社 2007)は
その動的な過程が記述された最初の書物である。

未知なる構造とパターン

梅雨の満月は
大気中の水分のために
すこし大きく見える。
雲間を素速く移動する満月はとても幻想的だ。
洞窟からみる満月から
テンセグリティ内部からみる満月まで
350万年以上も経過しなければならなかった。
真に未知なる構造とパターンは
複数の人が同時に再現できない。

動的な静寂

自然の非物質化のテクノロジーを
再現する時には
張力とその調整が深く関わっている。
テンセグリティシェルター内部での
瞑想はもっとも静寂と共鳴しやすい。
動的な静寂さは
自律しているシステムの共鳴方法である。
テンセグリティは
大地と社会に依存しない自律空間を生成する。

個人的

産業革命以後、人々の瞑想は
個人的な未来の夢やビジョンに置き換わった。
学校や会社で
その幻想を追跡する自由と習慣を
日々刷り込まれた結果、
主観的で個人的な目的を最優先する人生を夢見ている。
主観的で個人的な目的を
超越した存在を除外したまま。

土石木流

<山腹が崩壊して生じた土石等又は渓流の土石等が
水と一体となって流下する自然現象>と定義されている。
しかし、山腹が崩壊するのは
広大な人工的杉林によって保水性が欠乏したためだ。
したがって、ほとんどの土石流は自然現象ではない。
土石流の映像には
無数の無残な杉が土石と折り重なって流されている。
もはや<土石>流ではなく、<土石木>流である。

瞑想

私がこれまでした瞑想は
シナジェティクス・モデリングだけだ。
この瞑想方法に、学校も師も要らない。
シナジェティクス・モデリングは
自然の純粋なデフォルトを露わにする
ティーティングマシーンの働きに気づいてから。

戦略

攻撃型か、守備型か
個人力主導型か、組織力主導型か
専門分化した戦略は時代遅れになっている。
攻撃は個人能力で守備構築がうまい監督さえも。
部分から推測不可能な全体は
部分的な破壊から崩壊しないシステムである。
戦略とは変化する相互関係の動的均衡にある。
真のシステムは
時間と空間に対して
すべての要素が互いに相補的に統合されている。

思考と方法

思考は経験によって
純粋になるわけではない。
思考は実験によって
陳腐化できるわけではない。
思考は
新しい関係を自ら発見する方法には成り得ない。
思考方法が外部からの刷り込みであるかぎり
方法を求める人は、決して内部を発見することはできない。

雑用性(general)

雑用は
雑草のように
たいてい価値を認められないから
名前が付けられなかった。
社会構造では
名前のない存在は非存在に近い。
しかし、自然は雑用という専門分化したカテゴリーを形成しなかった。
もっとも雑多(general)に見える機能は
統合性が生成する。
有用性が欠乏して見える
雑用性(general)こそ包括性から生まれる。

構造とパターン

<構造とパターン>は
つねに単独者が発見してきた。
そして、彼が発見した<構造とパターン>を
原寸大で最初の構造実験をする場合
誰の許可も不要だ。
構造実験がなければ
構造家は構造計算を検証できない。
(ほとんどの構造家は建築コードのユーザである。)
<構造とパターン>はシナジェティクスに属するが
構造実験はデザインサイエンスに属する。

単独者

誰も記憶していない経験は
非存在であり、
結果的に実在していないと見なされるように、
誰も追試できない理論も
非存在であり、科学的でないにしても
科学者は前例のない概念から始める時
単独者になる自由がある。
そして最初に追試できるチャンスは
つねに単独者にある。
つまり、単独者の経験のない科学者の論文は
追試の必要もないだろう。

密室

アメリカ合衆国は
ベトナム戦争の反対運動を
集団的自衛権によって制圧してきたのである。
集団的自衛権は
内部からの批判を<攻撃>と見なして適用可能である。
集団的自衛権を確立する権限までも
内閣に委任しているわけではないから
彼らは集団的自衛権を確立する過程で
<密室>で必死に協議しているのである。
<密室>こそ民主主義への攻撃である。

翻訳

知識は自らを幾何学的に組織化する。
それがモデルである。
未知なる知識を生成する機能さえも組織化した
シナジェティクスモデルは
モデル言語を翻訳する。
観察者の気づきから
古い知識を終わらせることができる。