月別アーカイブ: 2012年7月

教育革命について

教育革命とは
教えられたことを
きれいに捨て去ってしまうことである。
安全とか
平和とか
平等とか
進化とか
理解とか
(すっかりクラウドにバックアップしてしまう方法は
偽のイニシャライズだ)
すべて捨て去ったあとには
真実しか残らないだろう。
教育革命に学校も教師も不要だ。
そして
真実にはバックアップも不要だ。

続2)反社会的電力

宇宙における電気エネルギーの在り方自体を
変革できるのは国家や企業ではなく科学者や個人である。
その理由は

電力会社が原子核における電子と陽子の相互作用や
電気伝導性のある金属の自由電子が形成する電流を発明したわけではない。

電子が発見された時、そして電流が発見された時には
まだ電力会社は存在しなかった。

歴史的に財政的に
送電ネットワークと電気エネルギーの生産手段の開発には
企業独自の開発投資金ではなく、ほとんど税金で作られてきた。

さらに、
国家は送電線ネットワークの構築のために
導電率の優れた銅を国内で安定供給できるように
銅の採掘技術とその精錬技術の同時開発を優先しなければならなかった。

それらが研究開発され実用化されたすべての基本発電システムは
国家から企業に譲渡されたのである。
より高額な研究開発費を要する第2次世界戦争以後の
原発システムも例外ではなかった。

送電線ネットワークへの電気メータの取り付けは
イデオロギーの違いによって決定されてきたわけではない。
たとえばロシアではすべての個人が利用するエネルギーに
料金メータが今まで存在しなかったのは、
メータの生産コストと定期検針にかかるコストが
エネルギー生産コストをつねに増大させるからである。
共産圏では
すべての個人が生存のために自由に使えるエネルギーがすでに豊富に存在する以上、
電気メータ類による個別のユーザ毎の消費量の管理はまったく非経済的であった。

電気エネルギーの在り方を変革するもっとも効果的な行為は
社会によって意図的に刷り込まれた諸概念を破壊する<考える行為>である。
思考こそ個人が自在に利用できる最大の原初的なテクノロジーである。
いまやわれわれの思考力は
社会システムよるエネルギーという富の独占的な<流れ>から
生存のためのすべての物理的エネルギーをすべての人々のために
もっとも経済的に高効率に変換し
新たな民主的なエネルギー分配方法による<流れ>を
形成する段階に到達しているのである。
つまり
宇宙における電気エネルギーの在り方自体を
変革できる思考力を政治家に委任してはいけない。

続)反社会的電力

送電ネットワークと電気エネルギーの生産手段を独占する企業による
意図的な反社会的電力行為は
原発エネルギーに限ったことではない。
宇宙における電気エネルギーの在り方自体を
変革できるのは国家や企業ではなく科学者や個人である。

反社会的電力

電子と陽子は
人類に対して社会的でも反社会的でもない。
それらの間にはつねに電気的な相互作用が生まれる。
そのために陽子の数と電子の数は常に等しくなっているが
電子の重さが陽子の1840分の1しかないのは
より動きやすくするためである。
誰もその相互作用を独占できないように
電子は宇宙を構成する素粒子として
陽子と共にすべての元素に内包されている。
しかし、
電子の流れ、つまり電流が流れる送電ネットワークと
電気エネルギーの電磁気学的な生産手段を
電力会社が独占している限り
人類に対して反社会的な作用を与え続けている。

隠れた目的

自分自身を理解する方法と意義が
学習過程のあらゆる虚妄と偽善によって
瞬時に見失われているのは、
仕事の報酬は自分を理解しないでも獲得できるからではなく
理解しない方がより報酬を獲得できる社会を
形成してきたからである。
これが知的産業社会における
教育の本当の目的なのである。

反復について

あらゆる種類の試験は
破壊的な思考エネルギーの反復である。
学校における教師のほとんどは
この反復の管理者である。
子供たちは
思考の廃墟に順応している。

持続的方法

技術なき原発依存の社会システムと
教育なき学校依存の社会システムは
真実を腐敗させるように
維持されている。
それがもっとも高コストで持続できる
独占方法だからである。

群れについて

学校は人間の学習には
もっとも危険な場所になりつつある。
動機なき学習は
権力と暴力によって
より分断され
静かな群れを形成する。
暴動なき
静かな群れほど
抑圧された危険な内部はない。

経験について

学校では蓄積された知識から物事を考える習慣を訓練する。
優れた学習でさえ蓄積した知識にしたがった
より忠実な模倣にすぎないだろう。
模倣からやがて生き残るための優れた順応の方法が生まれる。
こうして学校で何ひとつ新しい発見が望まれないのは
概念の牢獄化がより強化される場所だからだ。
学ぶとは
過去の蓄積された概念と歴史に囚われることなく
もの自体を観ることである。
もの自体を観ることの知識は
その知識自体を否定する経験からのみ習得される。

核武装

原発に群がる人間と
原発利権を分配する人間は
同じ場所にいない。
同じ場所に同時にいると
被爆するから。