月別アーカイブ: 2016年5月

貧乏という概念

貧乏(=持たざる者)は自然には存在しない。
土地資本主義や金融資本主義だけにとは限らない。
貧乏という概念は人間社会の中でしか存在しない。

貧乏はそれを孤立化させていく感受性の諸形態、
または、それを排除し集合させていくシステムに存在する。

知的な弱者も、自然には存在しない。
すべての自然の相互作用は知的である。

反・幾何学的方法

シナジェティクスが現代幾何学上の革命的な思考とビジョンである以上に、
バックミンスター・フラーによって打ち立てられた
シナジェティクスと幾何学との相互関係と断絶を、
その後の研究者が乗り越えることができなかったということだ。

シナジェティクスと相補的なデザインサイエンスは
ともに研究対象ではなく、圧倒的な探査方法だからにちがいない。

事実、フラーは幾何学研究者であったことは一度もない。

探査によって経験された事実から
秩序を発見していく峻烈な操作主義によって
初めてシナジェティクスが形成されていく。

シナジェティクスは幾何学からは始まらなかった。
そして、シナジェティクスはシナジェティクスから始まらない。

分析のみのメカニズム

個人をビッグデータとマイナンバーで統計的に把握するのは
個人の性別や年齢以上に
個人の職業以上に、どんな目的に従事し、
何を消費し、組織に貢献できるかを見極め、
個人を評価するシステムであり、
政治的権力のみではなく
学校、オフィス、工場を巧妙な規律と矯正によって
合目的に適応させていくあらゆるメカニズムである。

それらの認識を可能にさせる
知の形式として科学も同じシステムの中で
異なる機能を果たしているだけである。

自由へのメカニズムは、束縛されたままだ。

自由へのメカニズムを探査する哲学さえ
いまや自由が拘束される必然性の分析のみに陥っている。

民主主義と真理の探究という看板の表裏で
<宇宙の富>はますますグランチに所有されている。

消滅する空間と<動く構造>

活断層の上で振動し続け、その亀裂共に
引き裂かれ倒壊する無数の家屋を
この20年間で少なくとも3度も経験しながら

家屋はもはや圧死の脅威のもとで
生活するより他はない空間なのか。

全人口は、不動産ではなく
生命のための新しい<動く構造>を見出さなければ
消滅するように運命づけられていると
考えるべきである。
———-動くバイオスフィアと共鳴するように。

e・食・住(energy-food-shelter)の
生存するための三大要素は
固体的不動産という
非科学的な概念の妄想に幽閉されたままだ。

形態の無限性

シナジェティクスは、
テンセグリティ構造以上に単純な相補性に基づいた構造は存在しないという
<原型の有限性>の発見によって20世紀の革命的な科学的な概念を得た時、
デザインサイエンスは、
化学元素の組合せの無限性から生まれる素材と生産技術がもたらす
<形態の無限性>にデザイン理論の根拠を置いたわけではない。

モデル(model)と形態(form)という
本質的に異なる知への認識はシナジェティクスに含まれ、
峻烈でエンドレスな探査は
シナジェティクスにも予測的デザインサイエンスにも含まれる。

退屈な知の形式

シナジェティクスの探究には、誰の許可も必要としないイニシアティブが与えられている。
個人だけが思考することができ、自分の経験に現れる<原理>を探し求めることができる。

しかし、シナジェティクスが<主観性>によって自己と保つ関係の構築には、
権力との諸関係から批判すべき退屈な知の形式に変貌させているのではないのか
と自問する必要がある。

例えば、単なるジオデシックドームやテンセグリティに関するプロダクトデザインが
予測的デザインサイエンスで解釈される場合である。

彼らのデザインは、バイオスフィアでもっとも経済的に
そして安全に生存するための
20億機の軽量シェルターの生産技術とは無縁である。

階層化(hierarchization)について

原子核も、そして宇宙も
階層化(hierarchization)された
構造とパターンを形成する。

宇宙に於ける階層化は
非人格的な統合力によって自己組織されるが、
学校に於ける階層化は、個性化という分断によって組織される。

たとえば、成績順による単純な個性化(classification)などによって
成功した集合体(クラスター)では、
危険に対して義務的な同一性を求め、処罰を受ける能力が形成される。

学校における階層化は、個性化を目指す過程で引き起こされる
集団化(collectivization)の回避にあった。

そして集団化の回避によって、対話能力の著しい劣化が始まる。

集団化の回避は、自然災害に対しても
危険地域からの主体的な移動能力までも劣化し
無常観で対応する人々の傾向は
処罰を受ける能力の延長なのである。

自由からの逃亡生活は、
先験的な<生存テクノロジー>の退化を伴う。

3次元幾何学とCADデザイナー

メタフィジックスに対する従属としての自己規律という考え方は
消滅しつつあり、遂に消滅してしまったのかもしれない。
この自己規律の不在に対処し、応えるべき探求とは、
<生存のテクノロジー>の開発と探求である。

〈生存のテクノロジー〉の探求とは
デザインサイエンスであり
メタフィジックスに対する従属としての自己規律という考え方が
シナジェティクスを生んだのである。

<生存のテクノロジー>を拒絶した3次元幾何学と
それに従属するCADデザイナーは
もはや時代遅れである。

点、線、面の各モデルの組合せから
<生存のテクノロジー>の源泉となる
新たなモデル言語は一つとして発見できない。

超越論的シナジェティクス

経験的な主観的事象を
バックミンスター・フラーの発見した
シナジェティクスモデルだけに変換する人々に
主観性はことごとくシナジェティクス原理には再構成されない。

経験的な事象を超越論的シナジェティクスで変換すると同時に
主観性に接近させる場合に
密かに未だ解明されていない
シナジェティクスモデリングを発見するプロセスを経由しない思考方法は
退屈な3次元幾何学の思考パターンに陥っているだけである。

安全率(safety factor)の破綻

建物の破壊の現象に対して
権力の対応が構造計算の中に挿入される場合
その証明は、実物大の構造の破壊実験によって初めて確定される。

しかし、破壊実験は
起こりうる地震の規模と諸条件を想定してなされている。

その起こりうるとは
起こりえないことを除外した条件では
破壊実験はけっして実施されないことを意味する。

過去の大規模地震のほとんどすべては、
起こりえないことを除外したその条件で発生している。

M7が短期間に2度発生するだけでも
権力の計算する安全率(safety factor)はすでに破綻している。

権力の計算する安全率(safety factor)の確立にかかるすべてのコストは
税金によって賄われているが
その安全率を想定するプロセスの民主的な可視化は
その専門性によって完全に非公開にされている。

権力の構造への対応は、科学性を欠いた専門主義によって
むしろ権力を維持するエネルギーに変換されている。