月別アーカイブ: 2018年3月

再生的

森が肥料や農薬を必要としないまま移動できるのは
テクノロジーである。
耕すこともしない、肥料も投入しない自然農は、
テクノロジーに対立してはいない。
光と風と水、大地と微生物が
つねに再生的に相互変換するテクノロジーでなかったなら、
自然農は発見されなかっただろう。
自然農は元素変換に関する包括的な科学である。

科学史

偉大な科学者の自伝を読むと、
発見は非論理的であるばかりか、
偶然を伴わない飛躍的な発見が存在しなかったことが
誠実に書かれている。

科学史のような歴史的必然が後退しはじめる。
科学史は国家的科学の産物である。
もう一つの現実は、「失敗という神秘」から誘導され続けている。
科学史はこの現実から絶縁したままだ。

シンタックス

好奇心から生まれる興味と経験から学習していくと、
やがて知りたかった現実の方から近寄ってくる。
しかし、その現実は知識で想像したよりも矛盾しているだろう。
探し求めたものとは別のシンタックスが存在するからだ。
慣れ親しんだ現実を脅かすほどの事態が引き起こされる予兆がやってくる。

偶然を装ったもう一つの現実は予想を超えて存在する。

環境

人間はいまや環境の中心核にいる。
その領域は、核の分裂を頻繁に起こしやすい。

分裂すればするほど中心核は増殖し、
星になるための核の融合から遠ざかる。

風と大地、そして微生物

人間が勧めるいい土地ほど、大地には帰らない。
人間が求める土地から微生物は移動する。
地下茎の電子的ネットワークによって。

自然農は自然のテクノロジーを発見した。
風と大地、そして微生物と共に移動するのは
重さのない自然農だけである。

遠近法でさえ

観察するためには、感覚器を必要とする。
視神経の束は人間の感覚器では最大となる。
だがその視覚は、自らの不安や欲望によってつねに監視され、
さらに視覚は、言葉と記号によって予め支配されている。
距離感を測定する遠近法でさえ社会構造が反映される。
かつてのインディアンやエスキモーの視力は、望遠レンズ並であった。

ほとんどの観察や理解は、自己の反映ではなく、外部の反映でしかない。
ただ眺めて生きているだけに飽きたとしても、
自然に剥がれ落ちるほどこれまで馴染みの理解からの離脱は簡単ではない。

概念の破壊なくして新たなビジョンは取り出せない。
理解は、観察を超えた自己と宇宙の関係を発見するプロセスに始まる。

正20面体状KAJIKAWA Band

大理石のモデリング技法と絶縁した
ベクトル平衡体とは異なるトポロジーモデル群は
多稜体のシナジェティクスモデルだ。

正20面体状KAJIKAWA Bandでは、
右回転または左回転で連続したZ型螺旋ループに加えて、
正20面体にねじれが起こる。

これは、二重螺旋体がもつ固有の捩れ数(twisting)と
2本のストラップが頂点での相互結合のために、
互いに捩り合うストレス(linking)が発生し超螺旋体となって現れる。

二重の螺旋(twisting)に加えて、構造全体の捩れが起こる。
この構造体のねじれが内部と外部を形成する超螺旋体となる。

プラトンの正20面体状のKAJIKAWA Bandは、エンドレスな縁によって
内部と外部を形成する最小限の超螺旋構造である。

選ばれなかった自由

誰にも車やPCを選ぶ自由がある。
しかし、21世紀になっても
住居に関しては経済的な理由から
選ばれなかった自由の方が圧倒的に優勢だ。

さらに、住居を選ぶ自由はインフラで制限されてきたが、
テンセグリティシェルターは
もっとも経済的に、健康的に、
そして望むならば、
移動しながら住む自由の中に選ばれるだろう。