何かを築きあげるための唯一の基礎は
大地だけではない。
惑星地球を支えているのは
圧縮力に耐える大地ではなく
<万有引力>という太陽系を超えた距離でさえ
けっして超越しない不可視の張力である。
自分自身を知るための自己のテクノロジーは
圧縮力に耐えるがゆえに
自重をけっして超越しない
思考のすべての構造を最初に否定できるだろう。
大気圏内を移動し浮遊するための
思考の全構造を再構築するのは
つまり、何かを築きあげるための最初の自律的な包括性は
この自己のテクノロジーである。
「コスモグラフィー」カテゴリーアーカイブ
万能意識 (multipotency)
ノウホワイ(know why)は
いわば万能細胞(=ips細胞)のように
教師や学校教育プログラムを全く使用せずに
分化し統合できる万能意識を呼び覚ますことができる。
こどものある時期(人間の10歳児の知的爆発期)の
ノウホワイ(know why)は
統合的多能性 (integrated multipotency) と呼ばれるだろう。
こどもは興味のあることは
経験を超えて実現できるという意識を持っている。
続)受容から自律へ(ノウハウ know how からノウホワイknow whyへ)
ノウホワイ(know why)に無関心でも学習によって
ノウハウ (know how)は習得できる。
ノウホワイを形成する方法は教育不能であるが
ノウホワイにはノウホワイを自動生成するデフォルトがある。
知的な労働力
この自己教育システムによって
より高度な知的教育をスカイプなどの遠隔的システムを利用して
もっとも経済的に実践できる。
グランチは、発展途上国の知的で安価な労働力を吸収するために
工業先進国で広範囲に確立された平均的な学歴を
短時間に陳腐化しているのである。
21世紀の計画的陳腐化の対象は
自動車のようなハードウェアーだけではないだろう。
しかし、この自己教育システムを知的な労働力に変換し
グローバルな奴隷化を加速するために
グランチはパソコンを発展途上国のスラム街に贈与する以外に
ほとんど何も投資していない。
人間の生得的な自己教育システムには
開発も投資も不要だったのである。
この偉大なデフォルトを否定しているのは
先進国のほとんどすべての学校社会である。
理解の神秘
「知る」ことは「理解」ではない。
「する」ことでさえ「理解」することではない。
否定によって、新たな結合状態に到達できないかぎり
「知る」ことは一つの終わりでしかない。
自己教育
より優秀な学生は
もっとも必要とされる場所に行きたがるが
より優秀な教師は
もっとも必要とされる場所に行きたがらないから
最初から優秀な学生は
いつも優秀な教師に出会える。
このシステムでは
優秀な教師ほど生得的な自己教育システムで育った
こどもを知りたくなくなる。
そのこどもたちが
教師を必要としていないほど自律的だからだ。
朝の運動
動物行動学者コンラート・ ローレンツの朝の運動は
朝食前にお気に入りの仮説をひとつ踏みつぶして捨てることだった。
ならば、次の朝食までに踏みつぶすべき
次のお気に入りを用意できるかどうかが
日課になったはずだ。
それほどの学者だったからこそ
ある仮説の一つが偉大な発見に繋がっただけではなさそうだ。
仮説を踏みつぶす日々の運動なくして
科学的な創造性を獲得できない経験的事実を
誰かから<刷り込み>されていたのだ。
つまり、10才までのデフォルト期限までに。
質量欠損(mass defect)
大規模な宇宙の質量欠損問題 (missing mass problem) が
暗黒物質(ダークマター)の概念を形成した。
ダークエネルギーは
宇宙の質量及びエネルギーの約7割を占める。
この作業仮説上のエネルギーは
偶然にも、地球惑星の全表面積に対する海の占有率に等しい。
ダークマターが26.8%
すべての原子などを含むダークマターでない物質の占有率は
僅か4.9%程度なのである。
質量欠損(mass defect)の概念からは
宇宙の大半の質量を未だ説明できない。
defectとは欠点,欠陥を意味する。
質量欠損(mass defect)という思考言語に
すでに概念上の重要な欠損があるかもしれない。
シナジェティクスでは、defectではなく
崩壊や対消滅を意味するannihilationを使用する。
全体というデフォルトはけっして不足してはいないのである。
理論的洞察
シナジェティクス理論は
世界が如何にあるべきかという知識ではない。
シナジェティクス理論の形成過程は
思考の過程そのものである。
シナジェティクス理論とは、
洞察力の効果的な形式であり、全体を見ることなのである。
これまでの思考言語の牢獄から抜け出るためだけではなく
抜け出たときの世界の見方を表すためである。
言い換えれば、経験が洞察を生むのではなく
経験は洞察によって形成されるのである。
理論的洞察こそが、より有機的な全体を形成する。
そして、ついに洞察力のもっとも効果的な形式を超えた
<宇宙の原理>が発見されるのである。
知識
世界が如何にあるべきかという知識が
全体を形成したことはない。
その知識こそが
概念の牢獄化を維持しているのである。