間違って理解しない限り
未だ理解していない可能性を配慮しない、
という自己との対話方法によって
モデル言語は漸次的に形成される。
シナジェティクスをより深くより単純に学ぶと
結果的にシナジェティクスモデルが
何度も作成されるだろう。
私はテンセグリティモデルを
すくなくとも100回以上は作成している。
バックミンスター・フラーが理解していない可能性を配慮しないまま。
その中のテンセグリティモデルには
1995年に制作した直径11mで
折り畳むことができるテンセグリティシェルターがある。
その後多くの研究者がこの構造システムのメカニズムを
複製したが、まだ誰も<生活器>にはしていない。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
共進化(Co-evolution)
裏庭は森へと続く最初の入口(=背戸)かもしれないが
地下30キロメートルの地殻にまで生存する
微生物圏のサブシステムの出口を構成している。
——–バイオマスの相対比からみれば。
微生物が作り出した膨大な油田と
21世紀にまで存続する石油資本との関係は
地下に長期に埋蔵されたバイオ系エネルギーによる
内燃機関を開発し続ける
一時的で特殊な共進化(Co-evolution)である。
ハイブリッドカーでさえまだ微生物圏のサブシステムである。
浮力について
建物を支える杭が地中の固い地盤に達していないために
建物が傾く事故が報道されている。
建築技術は固い岩盤がなければ、
建物は船が傾くように傾くことを前提にした技術であるが
建築技術はあきらかに建造物全体の重量の限界に基づいていない。
物体が受ける浮力は、その物体と同じ体積の流体に作用する重力に等しい。
言い換えると、船の浮力は船体が水を押しのけた
体積分の水の全質量に等しいならば
高層ビルの浮力はその基礎部が押しのけた
大地の全質量に等しいのである。
すべての建物は浮力に応じて
沈むか、浮遊しているからこそ
固い岩盤に依存した状態でのみ不動なのである。
固い岩盤に一時的に係留された建造物は
法律上でのみ動かぬ不動産なのである。
科学的に岩盤(plate)は岩石圏(lithosphere)であり
地球表面で弾性体として機能している。
すべての固い岩盤(plate)は、大陸とともに移動している。
古い概念に固執するほど危険な行為はない。
形態(form)vs モデル(model)
観察から再現しないシナジェティクスモデルは
自己中心的な観察者には好都合なのである。
彼らはフィジカルな形態(form)に追われて
モデル言語を理解するメタフィジックスと
無関係にできる日々を過ごしている。
こうした形態のコレクションから始める探究は
逃避の擬態にすぎない。
この擬態の目的は
自己への観察をつねに誤認させることである。
思考力
テレビや新聞はいい加減どころか
人々を騙しているから
テレビも新聞も見ない人々は
真実を知るためにインターネットを見る。
この思考パターンはまだ疑われていなから
新たな嘘を信じ込ませる人々よりも
信じ込む人々が多い場合でさえ
新たな<現実>を形成できるのである。
凡庸な順応のパターンの学習に追われ
凡庸な思考力が生まれる。
真実を知るために他者の思考に依存する習慣は
まだ疑われていない。
つまり、凡庸な思考力は
偽善と冷酷さを生むために不可欠なのだ。
共鳴型テンセグリティ
共鳴型テンセグリティは絶えず動いている。
テンセグリティは、
自重や外力を受けると複雑に変化する不均衡を素早く動的に変換し
あらゆる瞬間の新鮮な調和を形成する過程を
連続的に視覚化していくモデルである。
破壊から逃れるもっとも効果的な方法は
パッシブな外力分散である。
それゆえに、このテンセグリティモデルに最初に出会ったとき、
条件付けられ固定化された思考形態と
決して静止することがない無生物の自律的メカニズムとの間に
絶え間ない混乱がおこるのである。
しかし、この混乱が既成の思考パターンから
抜け出す葛藤に変化するとは限らない。
テンセグリティの一つの張力材が破断すると
全体が連動して瞬時に破断する思考形態を
疑うことができないまま
この絶えず動く無生物に対する怖れに支配されてしまうのである。
絶えず動いている構造が
生存空間には不適切だと判断させる
不動産という法律概念が
数千年間におよぶ概念の牢獄を形成している。
テンセグリティを美的範疇に押しとどめる努力も
その現れにちがいない。
メタフィジックス
誰もシナジェティクスモデルを発明できない。
それは発見されてきた。
より自律的な思考や感情から誘導される
自然に潜む絶えざる開示なのである。
シナジェティクスモデルを発見する方法など存在しないが
その開示されたメタフィジックスは
人々を夢中にさせる独創性として誤解されている。
文節化(articulation)と専門分化(specialization)
社会構造はイデオロギーに関わらず
まだ互いに分離され専門分化したままだ。
専門分化によって
理系や文系といった鏡像性を否定できないように
政治構造は左派と右派に分離される。
より専門化されればされるほど
より重要な情報を所有する。
支配という意図があるかぎり
思考は特殊化のために分割され続ける。
そして、専門分化によって
分化すればするほど相互の相補性は失われる。
テンセグリティ構造においては
分離された圧縮力と張力は
互いに非鏡像的で相補的な関係に置き換わる。
純粋な構造には
優劣が存在しないばかりか
より重要な部分さえ存在しない。
より重要な部分とは
すべての専門分化過程に於ける
幻影化された目的なのである。
既製品
可能なかぎり既製品を使うと
自分でコントロールできないことを既製品に代用させ
自分でコントロールできることを
増やせるようになる。
バイオスフィアで入手できるすべての元素は
初期の既製品である。
人間が核分裂をさせない限り、それらの既製品は増えも減りもしない。
それ以外の既製品は
自然が許容したアブストラクトである。
その機能は重さもなくつねに増加するだけである。
すべての産業化はこの神秘的な抽象性に支えられている。
実践
デザインサイエンスを実践と切り離した
シナジェティクスモデルの限りない再現は
他人の思考方法を投影した3Dオブジェに過ぎない。
半世紀間を超えたバックミンスター・フラーによる
シナジェティクスの膨大な試行錯誤から選んだ
理解可能な複製から何も学ぶことはできない。
表面材のないジオデシック構造や
ゴム紐や釣り糸のテンセグリティモデルなどは
まったく無意味なのだ。
シナジェティクスを学ぶことは
行為とメタフィジックスを分離させることではない。
自然は、主観的に、美的に実行しない。
シナジェティクスとデザインサイエンスは
相補的な行為なのである。
———原子核における電子と陽子のように
