1590年の顕微鏡の発明後
1674年にオランダのレーウェンフックが微生物を発見した。
彼はセル(=cell 細胞)を発見していたが
細胞が生命の基本単位であることを
証明したのは彼ではなかった。
シナジェティクスが
球状テンセグリティ構造を発見するよりも前に
科学者たちは細胞がテンセグリティ構造である事実を
細胞の観察からは気づけなかった。
観察から発見される新たな概念は
ほとんど存在しないのである。
操作主義の有効性を問うならば
細胞膜が細胞の構造だと思われた歴史だけで十分である。
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テンセグリティと操作主義
圧縮材を交差させて交差点を固定する構造を受け入れる時
圧縮力に依存した要求そのものが
構造の不安定さと構造の破壊を生むことに無関心である。
純粋な構造は、圧縮力を張力と分離する。
分離して統合する張力の機能を形成するために。
この場合の分離とは
文節化(articulate)なのである。
文節化という統合の意図がなければ
分離もできないのである。
つまり、圧縮材を不連続にすることによって
張力機能を形成する操作主義なくして
テンセグリティ構造は発見できなかったのである。
有用さ(utility)
構造とパターンの探究は
どの時代にあっても
もっとも初源的な科学的行為である。
先験的に、動的に統合された構造とパターンこそ
つねに人間の求める有用さ(utility)に関係している。
複製モデル
一定の範囲で変形して元に戻るだけでは
テンセグリティモデルにはならない。
張力材ではなく、弾性のあるを弾性体を使用して
2点間距離を変動させているだけの3Dモデルは
テンセグリティモデルではない。
張力に対する間違った概念によって
テンセグリティの破壊に対抗する外力分散機能という
真の動的なシナジーはまだ理解されていないにちがいない。
テンセグリティの定義(=不連続な圧縮材を連続した張力材によって
統合した張力構造体)と
それを再現するプロトタイプ(=母型としての鋳型)によって
実に知的な先験的な<構造とパターン>が発見されたのであるが、
美的な範疇に閉じ込めるための
自惚れた思考パターンにすり替えられてきた。
この混乱は、テンセグリティ原理を
リアルなユーティリティに変換する前に
魅力的な形態の手っ取り早い模倣によって
世界中に拡がってしまったのである。
続)複製モデル
知的に装った無知(darkness)ほど
複製されやすいものはない。
自然に対する無関心さは
無限に掛け替えられている。
続2)複製モデル
テンセグリティのリアルなユーティリティへの変換を
もっとも怖れたのは、建築家と彫刻家である。
彼らは軽量化と量産に無関心である。
生活器(livingry)
固定によって安定するすべての構造は
<大地>に自重を流している危険な構造と言える。
その<大地>とは、そもそも
不動を前提にした作業仮説であるから。
免震装置も、耐震装置も
構造に付加されたそれらの自重を支えるのは
割れない沈まない地盤である。
構造とパターンを理解せずに
ただ構造を安定させたい結果、
ジオデシック構造でさえ
移動できないように過剰な物質で固定されてきた。
<構造>が太陽系の軌道間を移動する場合、
科学的な安全率と単位体積あたりの重量計算は不可分である。
そして、<構造>が大気圏内を頻繁に移動する場合は
さらに空気力学的で熱力学的な配慮が加わる。
<構造>が強度と剛性を損なうことなく
最軽量にデザインされたテンセグリティ構造以外に
<生活器>の信頼できる構造は存在しない。
この<生活器>が
最初の移動するもっとも安定した自律的<構造>である。
続)全方位
シナジェティクスの<モデル言語>は
内部と外部の相互作用から生まれただけではない。
惑星地球を外部から見る行為と
その内部から宇宙を見る行為との
表裏とも720度の全方位の
非同時的視野角から生まれている。
例えば、同一のベクトル平衡体を
外部と内部とも720度の全方位から
異なる記述で表すことができる。
全方位
産業革命から工場労働者には
注意深く迅速に反復する動作が求められた。
政府は無数の学校を建造して
こどもの学習も模倣と反復から始める教育がはじまった。
しかし、コミュニケーションの方法を学ぶことは含まれていなかった。
遊びによって
こどもはコミュニケーションの方法から理解し始める。
さらに、必要性からコミュニケーションの方法を考案するには
模倣と反復による生産性からではなく
他者性が必要である。
こどもは最初の<言語>を作り出すのだ。
第3次産業革命(=デジタル情報革命)以後も
<言語>はつねに教育の外部から生まれている。
工場労働者の末裔たちは
内部的なデフォルト<言語>にまだ無関心である。
尊敬(respect)
バックミンスター・フラーへの尊敬から始まり
彼の発見と発明への順応によって
新しいものを発見できない場合
しばしば、凡庸な模倣者になっている。
尊敬(respect)とは
語源的に注意深く見る行為である。
注意深くなければ、凡庸さは自己欺瞞と化学反応しやすい。
フラーを尊敬するなら
彼が誰にも似ていないことに注目すべきだ。
