シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

続)自然のリダンダンシー

ケネス・スネルソンが球状テンセグリティを作品に利用できなかったのは
バックミンスター・フラーの先行するシナジェティクスと
テンセグリティ原理の発見に干渉するだけではなく
人間の生活空間への利用の可能性を否定することで
新しい芸術様式を成立させたかったからにちがいない。
(同時に、スネルソンはバックミンスター・フラーが最初に概念形成した
tensegrityという造語の最初のユーザであったことに
注目しなければならない。)
科学的解釈が達しない芸術の拠り所をテンセグリティに求めた瞬間に
彼はテンセグリティの科学的な構造原理を
自ら排除しなければならないジレンマに陥ったのである。
それゆえに、彼が思い描いた新しい芸術様式が
20世紀の後半に隕石の内部から発見された
フラーレーンにも複製されていた事実は決定的であった。
テンセグリティ構造においては、人間は発明することも
表現作品のオリジナリティを作り出すことも不可能であった。
付加的でない自然のリダンダンシーを否定する人々は
宇宙の現実をあるがままに受け入れる科学的な試練に対して
絶えず原理の発見へと導いているこのメタフィジックスを知らない。

技術を学ぶ方法

ある技術を学ぶ時
その技術を形成するノウハウを経験者から学ぶ方法は
その技術には含まれない。
その技術について<対話 (dialog)>することが
技術を学ぶためのもっとも原始的かつ包括的技術である。
(dia=between,log=speak)
包括的技術の学習過程にカリキュラムは存在しない。
カリキュラムは大量に複製する工業製品を
作り出すためのシステムに準拠したアプリである。
自発的な動機(Know why)を排除する目的がある。
シナジェティクス教育は対話型である。
自己と自己との自己教育においても。

自然のリダンダンシー

人間は自らの体重を骨格だけで支えてきたのではない。
60兆個の細胞はもっとも安全なテンセグリティ構造を採用してきた。
人間が生活空間として使用する構造としては
テンセグリティは危険すぎると考えて
彫刻作品のみに利用してきたケネス・スネルソンは
テンセグリティ構造の自律的な外力分散システムや
付加的でない自然のリダンダンシーに対して
まったく無関心である。
あるいは無関心を装っている。
空間構造の安全のための新たな代替手段を確保する可能性が
まったくないという前提から
彼は芸術作品としてのテンセグリティの存在意義を
形成してきたように思える。
美的価値はしばしば科学的な発見によって瞬時に破壊される。

<観る>ための言語

林檎の生産数は
それを食べる人よりも多いように
テンセグリティモデルの制作数も
テンセグリティのあるがままを<観る>人よりも多い。
テンセグリティモデルは
たとえ圧縮材をカーボンパイプで制作しようとも
林檎のように自然に属する。
あるがままを<観る>行為こそモデル言語が介在する。
テンセグリティには固有のモデル言語が存在する。

肯定的構造

構造に対するもっとも根底的な否定を通じて
生命にとってもっとも肯定的で自律的な構造が現れる。
それがテンセグリティである。
バックミンスター・フラーが
テンセグリティを発見した1927年
彼は建築家ではなかった。
権力構造に対するもっとも根底的な否定によって。

動詞

シナジェティクス・モデリングは目的のための手段ではない。
モデル言語の獲得は手段と同時に目的である。
新しい物の見方を動詞から発見しなければならない。
真理は過去にも未来にもない。

シナジェティクスと言語

宇宙と自己との相互関係を理解する方法は情報ではない。
シナジェティクスは
別の次元からあるがままの現実を観察し
そして知る方法を探査すると同時に
メタフィジックスとフィジックスとの境界線を拡張する。
学ばれるべき数学的知識よりも
シナジェティクスはモデル言語の形成が先行する。

続2)反カリキュラム

自己教育システムは
すでにこどもにインストールされているにもかかわらず
カリキュラムと試験の廃絶を困難にしているのは
人々の条件反射である。
カリキュラムや試験は
学校や両親によって刷り込まれた
見せかけの単純化である。