自発性にしたがってすべてのこどもが天真爛漫に成長する
真の自由教育のシステムは
教育専門家がデザインしたシステムではなく
こどもの観察から発見された先験的な教育システムを採用する。
ポスト産業社会では
カリキュラムとともにすべての試験や教科書など
ともに争って<走る>ためのツールはすべて廃止される。
産業用ロボットが遠隔操作で隈無く配備される段階で
工場労働者は解雇され続ける一方、
こどもたちを<社会的な役割>のために準備させる必要は
ますます減少し、
20世紀に建造されたほとんどの学校とそのシステムは
都市部でも農村部でも陳腐化し廃校になる。
真の教育システムは
知的産業社会の主目的が21世紀の教育産業にシフトする時、
生産コストからも合意されるだろう。
ポスト産業社会では
すべてのこどもに対して誰よりも<その瞬間を生きる>ための
環境を準備しなければならない。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
反カリキュラム
これまでの教育過程で使用されてきた
カリキュラム(curriculum)は
ともに争って<走る currere>というギリシア語から
派生した概念を利用している。
同じ場所に集合して同時に同じカリキュラムで学ぶ
20世紀型の教科課程という形式は
第2次世界大戦後のアメリカの産業社会を反映している。
明らかに産業システムが教育システムを生み出してきたのである。
それらの共通点は、生産コストである。
デザインサイエンス修行期間
モデル言語に精通し
テンセグリティの原理の開発方法と応用技術に熟達した
テンセグリティ・マスターまでの修行期間は
デザインサイエンスの修行期間(12年間)に含まれる。
テンセグリティ構造は
観察から発見されなかった希有な科学的原理であった。
発見された当初は対応する物質や生命体は存在しないと考えられていた。
それゆえに
まだ存在していない新たなテンセグリティ構造さえも
モデル言語のシンタックスとセマンティックの
予測できない組み替えに依存しているのである。
物質の沈黙
テンセグリティは
中心となる部分が全く存在しない状態を維持しつづける。
われわれは非生物で完全無欠な状態に統合された
もっとも単純な存在をまだ分類できていないばかりか
あまりにも複雑に複製されつづけてきたから
テンセグリティの完全な沈黙を複製できないのだ。
個別性
他者との違いは個別性を生む。
独創性を生むのはこの個別性ではない。
個別性を超えた段階にある。
言い換えれば、自分のことはどうでもいいのである。
個性について
他人との違いを求めて
賢くなれる教育によって
個性が形成できると期待するのは
自己中心的なカオスの始まりである。
宇宙は、もっとも豊富な水素原子に個性を求めなかった。
———-他の原子との絶えざる動的な相互作用以外に。
相似性(similarity)
互いに似ている人は退屈である。
それを求められたことを知らないからだ。
こどもはまだ互いに似ていない。
相似性が形成されていない段階の
こどもの教育環境には
互いに似てしまった大人たちは
まったく無関心(indifferent)である。
こども
こどもからではなく
こどもに学ぶとは
こどもの直観にふたたび遭遇し
あるがままの現実を見るという
デフォルトにリセットできることである。
同時に観察者の過去からの離脱を意味する。
さもなくば、こどもは見えない存在だ。
思考言語
テンセグリティに関する知識は
すべて限定され部分的である。
思考言語は
まだテンセグリティの統合性には到達していない。
統括され続けている言語は豊富だが
統合性に組み込む言語は驚くほど少ない。
学ぶ方法
何かを学びたいというエネルギーが
人生の目的の探求に費やされた場合
自己に最適な学ぶ方法が考案されたとしても
非人格的な宇宙の目的に比べれば
センチメンタルな逃避方法にすぎない。
