シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

自己放棄

形態美を放棄した
シナジェティクスモデルは
まだ自己の反映物なのである。
信念や規律
あるいはそれらの断片をも
放棄することがなければ
シナジェティクスには
どんな真実もない。

動的秩序

揺れ動く社会を忌み嫌い
静的な固体的な安定を求める願望こそは
無秩序の原因なのである。
テンセグリティの構造安定性を形成する
振動こそは
グランチが忌み嫌う動的秩序なのである。
より重要な部分を何一つ存在させないその秩序は
防御すべき中心をけっして所有しない。
テンセグリティは
本質的にアナーキー(an-archi=主たる存在がない)である。

転写と翻訳

いかなる安定も持たない自由に目覚めるとき
限定された幻想的な世界が終焉する。
シナジェティクスは
直観をすでに理解したシナジェティクスによって
翻訳しない。
昔から存在するように見える
その何かを転写したい
風のようにやってくる直観を
昨日の概念で翻訳してはいけない。
そして、幻想的な、あるいは論理的思考によっても
けっして捉えられない
別の次元から新たな存在の絶えざる開示がはじまる。
それは、シナジェティクスの
始めなき、それゆえに終わりなき
リアリティの転写と翻訳が持続する時だ。
それ以上のリアリティを求めてはいけない。

レイマン(layman)

当時シルクスクリーンの印刷工だった私は
休日にテンセグリティモデルと
ベクトル平衡体モデルを制作しても
シナジェティクスを理解できなかった。
そもそも英語が読めなかったせいにしていたが
その魅力は脳裏から去らなかった。
————完璧な3Dでインプリントされたのだ。
40年前に遭遇したこの出来事は
バックミンスター・フラーに会う十分な動機であった。
最初の論文のスパーバイザーは
バックミンスター・フラーであったが
彼は英会話の素晴らしい最初の教師だった。
私が最初に書いた論文は、最初に印刷された数学論文となった。
私が完璧な<レイマン(layman)>からスタートした事実は
論文を書くよりも重要だった。
これほどまでに単純で個人的な関係を選択できたのは
バックミンスター・フラーが完璧な<レイマン>を理解する
真に知的な教育者であったからだ。
現在の知的産業社会が教育に期待するのは
私のようなレイマンではなく、超専門家たちである。
彼らが教育カリキュラムや株価、
そして、原子炉を設計している。