シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ

エフェメラリゼーションについて

「形態は機能に従う」
これは20世紀の家電や自動車と住宅を
量産する時の優れたデザイン思想であった。
しかし、形態に魂を奪われる哺乳類の特徴が
それらの産業化を加速したのかもしれない。
自然界では
機能が形態を生み出すのではなく
もっとも効果的な機能は不可視になる。
ーーーーーたとえば重力や風のように
真の機能はモデル化できても
形態化できるとは限らない。
これがデザインサイエンスにおける
エフェメラリゼーションの思想的根拠である。
つまり、現在は科学的原理の発見によって
形態(form)からシナジェティクス(model)へ移行する
懐胎期にある。

アイデアについて

頭のなかで起こる新しい兆しに気づくための
実験でわかったことが2つある。
本当のアイデアは
朝目覚める前にたいてい
思いついているという発見。
ただし、目覚めた時には忘れることを
目覚める前に忘れているだけだ。
これは目覚めた後の退屈な実験結果だ。

有機的(organic)について

抽象的な知識の相互関係を有機的に組織(organize)すると
幾何学的になる可能性が高い。
つまり、モデル化が可能になる。
しかし、21世紀の産業社会では
木の構造をしたグラフ理論のデータ構造程度で終わっている。
組織化を有機的にする場合、
あるいは
有機化を組織的にする場合、
まだほとんど生物構造を模倣しているだけだ。
シナジェティクスにおけるモデル化では
有機体生物(organism)に似ているかどうかは重要ではない。

プロフィール

プロフィール(profile)とは
横顔である。
あるいは、断面や側面図のことである。
一人の人間の横顔を
2つの異なった視点から
同時に描くことはできないが
半分の横顔は存在しないから
例えばピカソの<泣く女>のように
描かれた2つの横顔を
ほぼ同時に見ることができる。
もっとも少ない横顔(=断面)から
3次元の対象物が復元できる。
キュビズムはハイパーメディアの起源である。

長寿的思考

革命的な食事(=ファーストフード)で
短時間に食事を済ますほど
人々はより短命になる。
不健康な食生活をすればするほど
マクロビ(=長寿食)が
おいしく感じるのは
それが保守的だからだ。
しかし、もっとも保守的なのは胃袋かもしれない。
シナジェティクスが革命的なのは
思考方法がより原理的だからである。
原理的な思考がもっとも長寿だからこそ
生存により必要なテクノロジーは
エフェメラリゼーション(短命化)を
引き起こしやすい。

量子幾何学的世界像

<次元>という概念を90度のXYZ座標を使った
作業仮説(working assumption)から始める場合、
ある種の欠陥(=無理数による非合理性)が存在する。
シナジェティクスは
この25世紀間も継続された作業仮説を
破壊できる複数のシナジェティクスモデの発見、
つまり、数学的な反例を発見してきた。
その引き裂かれた矛盾を拡大するための
この半世紀間に及ぶシナジェティクスの探求によって
量子幾何学(quantum geometry)として
扱うべき諸存在が明らかになった。
数学的な基本概念を維持する社会と科学には
一つの重要な隔たりがある。
あるいは
タイムラグ以上の懐胎期間がある。
21世紀は個人が
社会の標準(=criteria)から離脱して
新たな世界像をより加速する時代なのだ。
ーーーーータイムラグを待つのではなく非同時的に。

失われていく過程について

テンセグリティに
シンメトリックな美や動的平衡
そして
付加されないリダンダンシーや
自動的な外力分散機能を望む前に
テンセグリティを破壊したことがあるだろうか。
部分と全体が破壊されていくときの
部分的破壊から推測できない全体のシステムの働きが
もっとも効果的に作用するその瞬間を
そして
テクノロジー全体が失われていくそのプロセスと方法を
テンセグリティに望んだことがあるだろうか。
テンセグリティは
だれも発明できなかった
自然の構造原理の<存在と過程>なのだ。
参照  
テンセグリティ・プリセッション 
「テンセグリティの破壊実験」

螺旋について

気づきには軸回転(spin)がある。
知識には軌道(orbit)が存在する。
軌道上の運動のみが普遍的であるが
叡智だけがその普遍性を獲得する。
実際、どの軌道にもそれを包含する
より普遍的な螺旋軌道(=helix ,not spiral)が存在する。
螺旋とは
より外側から観察された軸回転である。

お湯について

虹の色数を観察によって区別する場合は
色を区別する言葉の種類に比例するように、
お湯の質感を区別する言葉が存在しない場合は
同じ水質の1リットルの水をそれぞれ
ガスで沸かしたお湯と
薪で沸かしたお湯と
電子レンジで沸かしたお湯が
物理学にすべて同じお湯だと考えていることと
それらの違いは人間の感覚器では区別できないと感じる場合は
同じ結果になる。
思考も感覚も言語によってかなりの影響を受けている。
<沸かしたお湯>には異なった性質があることを感じるためには
<沸かしたお湯>には異なった操作的定義があることを
認識しなければならないが
そのためには
新たな言葉を生成しなければならない。