政治や経済は
権力でより統合されている。
人々は圧縮の概念で行動する。
プレッシャーを与えたり受けたり。
しかし、圧縮には限界がある。
合金や細胞、そして
私の机の上のテンセグリティモデルを含む
宇宙は、
つねに張力で統合されている。
張力は長さに限界がないからだ。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
シナジェティクス・モデル
シナジェティクス・モデルを学ぶべきではない。
シナジェティクス・モデリングを学ぶべきである。
動的な概念をもたないモデルは、
いつも美的なシンメトリー(対称性)で終わるから。
自然
混乱したときにのみ秘密を打ちあけるのは
エゴイストだ。
思慮深く行動するには孤独な勇気がいる。
最良の思考法に到達するには、間違いは回避できない。
しかし、自然でない行いから自然を学ぶことはできない。
シナジェティクス
宇宙に周期はあっても休暇はないが、
私の仕事はこのところ
周期もなく日曜日もない。
構造という秩序の森に分け入って
出口が見つからない。
出口とは物質化のためのデザインだ。
メガストラクチャー
バックミンスター・フラーは素晴らしいシェルターをつくるが、
それは彼が他に何もつくれなかったからではない。
だれも他人のために彼のような目的を持たなかったからだ。
1927年に50年後の人類には、
2億機の住宅の生産が必要だと予測していた。
われわれは既に2億台の自動車を生産してきたが、
2億機のシェルターの生産を計画する建築家はいない。
ハイテクなメガストラクチャーでさえ、受注生産方式である。
エデンドームでさえ同一のデザインは僅か一カ所にしか存在しない。
建築産業は時代遅れである。
優れた建築家ほど、
アーティストのような作品集をもっているかぎり。
(その作品集こそ、印刷という複製技術から作られているはずだ。)
自己教育
あらゆる知恵の中で、
自己教育に関する知識がいちばん遅れている。
教育の本質は個人を普遍化することである。
いまのところ、
それは学校で習ったことをすべて忘れなければできないことだ。
自己教育を継続できないかぎり、
教育は個人を傷つけるものである
最高の授業
最高の授業に
最高の教師と最高の生徒は必要である。
この考えはエリート主義の惨めな幻想だ。
私にとって最高の授業は、
教師のいない、
テキストもない
こどもだけの自律的授業だった。
1950年代にアメリカは敗戦国で自国では禁止された
先端的な教育実験を指導していた。
特に廃墟と化したヒロシマで。
驚くことに
こどもはこどもを教育できる。
お互いの間違った経験によって。
学校という「囲い」によるシステムエラーを
こどもには訂正できないだけである。
「囲い」とは
間違いを除外するための
間違わないシステムである。
それはつねに最高を目指している。
構造とパターン————テンセグリティワークショップを終えて
水素と酸素がそれぞれ
水に似ていないように、
テンセグリティモデルは、棒と紐に似ていない。
テンセグリティは人間がデザインした形態ではなく。
構造の構成要素が化学反応した結果である。
この構造が自律的なのは、
その反応の結果が動的に安定しているからだ。
発見されたほとんどの化学反応は論理的には考えられなかった。
実験によって原因と結果に例外のない整合性があるから
自然を論理的に再構築しているのである。
真の構造の構成要素は、
テンセグリティの発見によって
はじめて発見された。
言い換えれば、構造という言葉ができたとき、
まだ誰も構造を定義できていなかったのである。
きれいな水がきれいな水素と酸素から形成されていなかったように、
美しいテンセグリティはけっして美しい棒と紐から形成されない。
圧縮材と張力材からなる非鏡像的な相補性
または
非連続の連続性の概念の発見こそは、
構造とパターンに高度な単純さを探求する
シナジェティクスの成果である。
自然は構造とパターンの宝庫である。
かけがえのない自然
鳥は翼を傷つけたとき、
他の翼、つまり、仲間の鳥の翼と交換することは出来ない。
鳥には破損箇所を自己修復する機能が与えられている。
われわれの住宅の部品は隣の家の部品と交換できないので
非モジュール的に設計されている。
ドアや窓、畳でさえ交換はできない設計である。
交換できないことで、利益を追求している世界は
まだ支配的である。
(土地資本主義から自己修復できる住居の概念は生まれないだろう)
現代のジェット機の翼やエンジンは交換できる。
モジュールという概念はパソコンや冷蔵庫、自動車にも適応されているが
自然は原子核を構成する核子に適応している。
銀河は10億年以上の時間をかけた衝突によって
互いにモジュールを合体する。
核分裂や核融合では陽子や反粒子などのモジュールが交換される。
かけ替えられるという交換機能または自己修復のデザインは
宇宙の見えないテクノロジーに属する。
人間の感傷的な世界観が生み出している
「かけがえのない自然」は、
唯一無二というかけ替えられない=交換不可能で非動的な平衡状態、
つまり、死の世界の概念である。
同時に、
この概念こそが現在の99%の人類のエコロジー概念を支えている。
エコロジーに自然はまだ含まれていないからではなく、
自然がエコロジーを含むまでメタフィジックスはつづく。
基礎という概念 2
基礎という概念は大黒柱の別名である。
共に圧縮を引き受ける特別な場所である。
他の部分よりより重要な部分の存在は
共産主義であろうが資本主義であろうが
生まれる前からシステムに組み込まれる。
基礎構造
基礎デザイン
基礎知識
基礎研究
基礎科学
など、
すべての超専門分化によって、
絶えず人間の認識上の壁はくまなく強化される。
特別な場所を守るために。
そして、
ついに基礎から始める教育システムを
盲目的に容認することになるが、
「部分から推測できない全体のシステム」の存在を認識する
人間の先験的能力は除外されたままだ。
テンセグリティの基礎構造がない革命に関して
社会は半世紀間も沈黙している。
(スネルソンのようなアーティストが直感的に美的な価値だけを複製したに過ぎない。)
シナジーに基礎と応用との相互関係は存在しない。
つまり、
デザインサイエンスはシナジェティクスの応用分野でもない。
シナジェティクスの学習プロセスもまた
基礎(下部)と応用(上部)には分割されないのは、
包括的理解は上・下ではなく全方向的だからである。
(経験と直感ではない直観によってシナジーを自ら発見し
人類に教育できるアーティストサイエンティストは
いまのところ軍事産業に吸収されている。)
