経験や情報が増えれば
視野も広くなるが
視力(=解像度)が衰えているならば、
おいぼれた広角にすぎない。
経験と情報の違いは
情報ではない。
経験と経験との相互作用が
生きた視野を形成する。
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
大脳生理学
食欲は想像するより、
食べることによって、
より増幅する。
理解は言葉で考えるより、
実際の失敗によって、
より包括的になる。
デスクトップ理論
宇宙で起こることは
稀に机のモデルでも起こる。
非同時的だが
宇宙は一つしかないからだろう。
レディメイド
新たな道具に既製品を使うには
並外れた奇抜なデザインよりも
普通のパーツを並外れてうまく総合する才能が必要だ。
言葉はもっとも身近な既製の道具である。
想像力
空想力は知識からは生まれない。
知識には限界があるから。
想像力こそ知識からは生まれない。
知識を統合するためだから。
デフォルト
対話のデフォルトは
<より重要な部分をもたない>ことにある。
これはモラルではない。
<より重要な部分をもたない>全体は
つねに振動している。
動的に平衡状態を維持するために。
第2の人生
年金制度が崩壊するかしないかに関わらず、
知的産業社会では、
若いときから第2の人生が必要である。
世に出るための仕事と世を出るための準備。
私は無知からいきなり2番目からはじめてしまった。
そして、これまで私が仕事ができたのは、
20世紀以後のテクノロジーは
世に出ても、世を出ても使用できることにある。
いつでもどこでもを可能にするすべてのテクノロジーは
宇宙に属する。
この宇宙の「経済ニュース」こそ定期購読すべきである。
セレンディピティからプリセッションへ
高校時代に、本を読む読まないにかかわらず、
本に書いてあることを話すひとから
学ぶことは何もないと思っていたが、
セレンディピティserendipityほど本から盗まれる話はないだろう。
しかも、本に書かれたほとんどのセレンディピティは、
伝聞情報である。
偶然と計画的偶然の違いについて
経験豊富な教師は学校にはいない。
すべての科学の教科書から本質的なセレンディピティは排除されてきた。
セレンディピティは論理的ではないし、論理の対極にあるからではなく、
セレンディピティを経験すればするほど
編集された言語の限界に接近するからかもしれない。
真の科学者がほとんど教科書を書かないのは、
このセレンディピティを重要視して生きているからだと思っていた。
実際、科学者の伝記の方が教科書よりも包括的である。
ところで、シナジェティクスでは
セレンディピティはプリセッション(計画的偶然)の概念に置き換えられる。
セレンディピティを知ろうが知るまいが、
思考方法には影響を与えないにしても、
プリセッションの概念にはまったく異質な目的論が内在する。
バックミンスター・フラーが自伝を書かなかったのは、
クロノファイルで十分だったからだ。
それは、プリセッションをもっとも頻発に発生させる装置である。
言葉
新たな発明を理解するために
先行技術調査から始めるのは、発明者ではなく特許審査官である。
類似した特許を裏付ける技術またはその起源を探せない審査官はいない。
すでに決めている視点を他の発明や研究から探すのが得意な人は
研究者に限ったことではない。
その方法は新しい視点を生むことに対しては不毛である。
発明や発見は先行技術という事実を探すことからは始まらない。
発明の真の有効性を検証するには、
事実よりも発明にかかわる概念がどうあるべきかという
作業仮説をもたなければならない。
優れた発明はしばしば
よく知られた言葉を解体する。
さもなくば、
新たな言葉を創り出す。
科学的
自然を観察することから科学教育は始まるが、
自然とともに生きることを教育しないのは、
科学的ではない。
この半世紀間、世界中の頭のいい子どもは
みんなより大きな都市に移動するように教育された。
