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格差エネルギー社会

教育の主目的は、こどもが興味に応じて
自らの環境を変えることを可能にすることである。

18歳までの教育費と医療費を各家庭経済に依存させることは、
その目的達成と本質的に矛盾するばかりか、
自らの環境を変えるの能力の喪失が招く
将来の産業的な損失に無関心になることを意味する。

家庭の経済的背景に依存しない学習環境に必要な
経済的支援を国家が保証するという認識の不在と共に
格差社会での子供の貧困という概念だけが定着した。

格差に対する不安こそが
格差を拡大する
支配エネルギーに変換できるからだ。

天才に関する洞察

以下の差は、だれにとっても興味深い事実である。
しかし、天才に関する、この著者の7と8および9の洞察には同意できない。

少なくともバックミンスター・フラーには不適応である。
つまりこの比較は、知的な凡人の思考に属する。

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目的存在

夢には二つのタイプがある。
それを追いかけるタイプとそこから逃げるタイプと。
それを分かつのは
欲望(desire)ではなく、志(high aim)である。
志の高さを決めるのは
知性(intelligence)ではなく、動機(know why)である。
動機なき欲望をもとめる知性に具現化する夢、
つまり、独創性は宿らない。

依存型思考

アイデアを、そして計画を
毎日紙に書くことは
いつでもどこでもできる。
しかし、その簡単な方法は誰かに話すよりも
遙かに簡単で自在なことが分かるまで
依存型思考は止まらない。
もっとも簡単にできる方法と現実を怖れるのは
後天的な条件反射にちがいない。
中途半端な依存型思考のタイプは
大人になっても
白熱教室やTEDのプレゼン形式がたまらなく好きである。

自己イメージ

自己イメージは、言語の習得と共に他者によって完成される。
他者とは、そのほとんどが家族や友人そして学校である。
シナジェティクスのモデル言語は
宇宙との相互作用によって
その自己イメージを砕くようにして成長していく。
宇宙の固有性や異質性は
外部性だけではなく
自己の内部をも形成する。
<宇宙とは自己を含むすべて>R.B.Fuller

生活

生活費を稼ぐ仕事によって
愛することを忘れてしまうのである。
それは好都合な逃避なのである。
しかし、死は愛よりもすべての逃避を否定する。

知性

アナログかデジタルかを比較する知性は
経験か知識かを比較するよりも
未熟な知性である。
しかし、包括的理解には
アナログかデジタルも
そして、経験も知識も局所的すぎる。

方向性

無数の選択肢とその組み合わせから
生活する方法は
混乱を回避できない。
選択に恣意性があるかぎり
最適解は存在しないか
最適解がつねに変動している場合
個々の特定の仮説を検証しているだけである。
人間の混乱を回避する知識は
ひたすら増えるばかりである。
生命に方向性を与えるのは
混乱からではなく
無目的に起きる変異を選別する能力だ。
自然選択(natural selection)以上に
より高い秩序は形成されない。

土石木流

<山腹が崩壊して生じた土石等又は渓流の土石等が
水と一体となって流下する自然現象>と定義されている。
しかし、山腹が崩壊するのは
広大な人工的杉林によって保水性が欠乏したためだ。
したがって、ほとんどの土石流は自然現象ではない。
土石流の映像には
無数の無残な杉が土石と折り重なって流されている。
もはや<土石>流ではなく、<土石木>流である。

戦略

攻撃型か、守備型か
個人力主導型か、組織力主導型か
専門分化した戦略は時代遅れになっている。
攻撃は個人能力で守備構築がうまい監督さえも。
部分から推測不可能な全体は
部分的な破壊から崩壊しないシステムである。
戦略とは変化する相互関係の動的均衡にある。
真のシステムは
時間と空間に対して
すべての要素が互いに相補的に統合されている。

井戸端(well)

努力する人は未来を語り、怠ける人は過去を語る。
どちらも今を生きているわけではない。
井戸端で水くみや洗濯などをしながらではなく
日々の稼ぐ仕事の傍らで
ただ語っているだけである。
21世紀の井戸端は至る処に湧き出ているから
かなりの物知り(=a well of information)になっているが
その井戸はどこからでも覗き込まれている。

知性

自分の経験よりも他人の経験を利用する
特殊な知性で生きていけるが
他人のためにその知性はほとんど使われない。

残像

親友が第2の自己であるとすると
その親友の親友は第3の自己である。
親友を悪友にかえても事情は変わらない。
自己増殖を望むのは、児童期の空想の残像だ。

単純さについて

自然の原理は単純である。
科学論文の審査機構のほうが自然よりも複雑である。
「Nature」に記載されたレベルのノウハウは
最初に発見された単純な概念レベルで十分である。
STAP細胞の再現性には
かなりの理論とノウハウがあってしかるべきである。
軍事技術を見る限り、もっとも効果的な発明が
特許出願がなくとも開発されてきたように
テクノロジーは科学論文の受理とは無関係に開発できる。
「Nature」に記載される名誉よりも
論文も審査に出さないだけでなく
特許出願しないそのノウハウの方が情況によっては
高価であるというビジネスは存在する。
それは単純な資本主義だ。

ところで、論文の審査機構において、審査される論文の機密性を一体誰が
民主的に監視できるのだろうか。
科学論文の審査機構がほぼ権力構造に属しているならば。

科学論文

専門分化しながらも
集団化した科学者のクライアントは
限りなく真実に見せかけた
科学論文の<構造>に夢中である。
論文形式と審査機構との相互作用は
民主主義的ではない。
STAP細胞の発見が
科学に無知なメディアと法律家資本主義に毒されたのは
科学論文の<構造>と科学者が構成する社会<構造>に
自由な人間どうしの対話が不在だからだろう。
科学者に自由な対話と批判をもたらす<構造>がなければ
動く<細胞>の構造も見えないだろう。
現在のテクノロジーとその余剰生産性からいえば
優れた科学者が国家公務員である必要はない。
この国には、10億円以上の現金を所有する個人が
150万人以上もいる。
細胞生物学もシナジェティクスのように
メタフィジックスに接近する科学なら
個人で展開可能な時代だ。

アンインストール

更新されるクラウドに身を委ねてしまうかぎり
昨日から超越する現実は訪れない。
経験の蓄積も知識の収集も
昨日までの思考方法を肯定するように働く時
安定願望を満たしているだけである。
—–条件反射にしたがって。
条件反射は
絶え間ない葛藤を生まないシステムの一部だ。

独占方法

新しい技術が仕事に有利さを
もたらすためのもっとも有効な方法は
見せびらかしから始まり、そして
十分にじらすことによって
いつの間にか人々に独占させることである。

高価と安価の起源

モノが高価ではない場合、
けっして安い(cheap)とは言わないだろう。
意図的に非効果的にしたモノこそが
実に安直(cheap)なのである。
同様に
高すぎるモノは
そのほとんどが計画的に思考しなかった
あるいは
行動しなかった結果なのである。

自己愛

自己愛は自分の一部であるから、
自己を冷静に外から見つめるということは困難だ。
見る行為を妨げる存在がどうして愛と呼ばれるのだろうか。

生物学的雑用

生物学で分類できない植物は存在しないが
雑草には名前がない。
名前のある価値のない職業は無数にあるが
雑用には名前がない。
エコロジーシステムから雑草を除外できないように
人類の雑用には無数の創造性が潜んでいる。

思考の沈黙

自己欺瞞に陥りやすい明日への期待から逃亡し
外部から与えられた秩序に代理させるよりも
手っ取り早く昨日までの思考方法に
終止符を打つことを知りながら
それができないのは
内部の混乱と空洞化に耐えなくてはならないからだ。
思考の沈黙は自己欺瞞の裏返しである。

放射エネルギー

弱者の自己嫌悪ほど危険な放射エネルギーはないが
とりわけ彼らを蝕んでいるのは
自己嫌悪ではなく、21世紀の若者が身につけた
固有な消費と自己愛である。
群れから適度な距離をおきながらモバイラーを自認する若者ほど
かつての極地探検家以上に軽量グッズで武装しているが
彼らが課金システムを攻撃することはないだろう。
消費システムは退廃するための自己愛を増幅するばかりである。
21世紀の高度な資本主義社会の放射エネルギーは
もはや核兵器を必要としない。

観測記録

観測史上最大の記録的な豪雨によって
浸水した地域のほとんどは
農業に適していたことを証明している。
本来は森林から溶け出した腐葉土を
受け取る場所であった。
豪雨は大地震や津波よりも
頻度が高いという観測記録にしたがって
住む場所と職業を選ばなければならない。

忙しい人

観察したり理解するための時間を持てない大人は
自分のことで忙しいからではなく
自己中心的だから
忙しい時間しか持たないのである。

学習の無秩序

こどもの学習を試験という競争に駆り立てるところには
苦痛と怖れから逃れるための無秩序がある。
強制のあるところには
自由を憎む心が芽生える。
あるがままを見るように
導くのは教師ではない。
生得的なデフォルトである。
生得的なデフォルトは
教師からもっとも憎まれている。
自然は彼らを必要としないから
学校は無秩序で溢れている。

安定学習

こどもの学習エネルギーの大半は比較に費やされ
教師も学生も学習に<安定>を求めている。
学習は淀んだ自己満足に使われている。
安定学習の最終形態は学級崩壊である。

言葉を書き換える

議論は生き方を変えなかった。
肯定も否定も環境を変えられなかった。
言葉は思考を規定し、思考は行動を規定し、
行動がはじめて生き方を規定する。
新たな生き方が現れるには、
古い言葉をすべて書き換えなければならない。

ありふれた信念

才能の8割が体力だと思い込まされている人に
才能は宿らない。
残りの2割がその体力と体力以外を作り出している生命の仕組み
ーーーーノウホワイトとノウハウとの相互作用に無関心だから。
原子核では、すべての核子(陽子や中性子)を相互に統合するための
結合エネルギー(質量欠損)は全質量のわずか0.05%にすぎない。

自己愛

自分を愛してばかりいると
人を愛することができなくなるのではなく
子供の時に人に愛されていないと
自分を愛することができない仕組みがある。
学校で学ぶことは
自己愛でさえほんの一瞬の<刷り込み=imprinting>によって
自己と他者との相互関係から生まれるという事実だけだ。

無次元(dimensionless)

何者にもならない努力をすれば
何もすることはない状態がやってくる。
生きることから遠ざける指導者たちが
もっとも怖れている無次元(dimensionless)だ。
無次元とは
微小で取るに足らない
それゆえに
あるがままの無限の領域なのだ。

反個性

電子が不足すると
見かけが正電荷を持つ反電子(=陽電子)として存在できるように
足りないモノが個性として振る舞うことができる。
欠点を覆い隠す個性など存在しない。
個性という概念は、実際には反個性である。

やりくり

自分でモノを考える習慣がない人は
他の誰かになる目的のためには
その人の言葉をけっして引用しない。
そのありふれた詐欺師たちは
自分の好きなように過ごせば
悔いがない人生のやりくりに忙しい。

外部について

互いにあるがままの現実を見ることができない時間が
人生よりも長い時
われわれの意識が外部をついに圧倒する。
それは不完全な経済的標準や政治的秩序が
物理的外部の意識や細胞を何度も破壊するよりも
速く、そして頻繁にやってくる。

科学的な統計

「電気エネルギーの消費が増加すると少子化になる」
この統計学は、バックミンスター・フラーが
1970年代のワールドゲームで発見している。
(『クリティカルパス』バックミンスター・フラー著 
梶川泰司 訳 白揚社 1998)
「女性の就労率(労働力率)が高くなると女性が子どもを産むようになる」
(武田邦彦 少子化問題での役所のトリック)
最近は、非科学的な統計が
国家によってしばしば流布されている。

逃亡的知性

知識の大半は
危機から逃亡する言い分けのために用意される。
そこから逃れた僅かな知識が知性ではない。
知性は予測的な能力にある。

捨てられるモノと機能について

いま日本中から使われなくなった
しかし、優れたボール盤や旋盤が
より増加している話を友人から聞いた。
捨てられるモノの機能は
ほとんどは壊れていない。
捨てるとは所有権の放棄であるが
機能の飛躍的な移動の始まりでもある。
修理するボール盤や旋盤の道具だけで
ガレージでも耐久性30年のシェルターが作れるが
そのシェルター自体は
まだ捨てるほど製造されていない。
無数の個人が自由により移動するためには
最初のシェルターの所有権が譲渡され
あるいは放棄されなければならない。
世界中の中古車が
新車よりも移動しているように。

鏡について

両親にとって良い子どもは
自分の鏡だ。
自分の選択を反映するから。
良い教師にとって子どもは鏡だ。
子どもから教えられるから。
しかし、学ぶことに鏡は不用だ。
学ぶとはすべての鏡という等価物の反射作用の破壊から始まる。
ーーーたとえ破壊だけに終わったとしても。

想像力について

想像力は
経験を対象化する思考過程自体を思考する
人間の原始的なコミュニケーションを形成する。
想像力が不足すると
他者とのコミュニケーションも不足する。

続)反定住時代

反定住時代の住宅ローン30年間は
不適切である。
都市部では日本版サブプライムがはじまる。
そして、高齢化と過疎化の後、
ほとんどの住宅の所有者が
そこに住んでいない時代がはじまる。

降雪

数百万年間も継続してきた生存のための
筋肉労働から離脱しはじめて
僅か100年程度しか経過していないが
人間の筋肉労働エネルギーは
全地球の産業社会で使用する
全エネルギーの 0.1%にも満たない。
しかも、今日のような降雪時の
筋肉労働エネルギーの大半は
通勤と通学に費やされる。

デフォルトについて

他者になろうとする試みがつねに失敗するように
自己がデザインされているのは
他者の存在の気づきによってのみ
自己が存在する相補性にあるとしたら
それは誰もが経験する
最初の神秘かもしれない。
存在の出荷状態(デフォルト)には
神秘という省略時選択がある。

仮定法過去完了について

現実を否定しても
現実は変わらない。
現実はつねに遅れてやってくるからだ。
現実を超えて
既知なる過去とその蓄積を変えない限り
現実は未来の幻想で包まれたままだ。