あの日から
生き延びるのを拒まれた細胞に囲まれ
なおも生きる希望を持ち続けた
母に捧ぐーーーーー
物質とエネルギーが
永遠に相互変換可能なのは
それらが有限だからである。
人類は元素の周期律の原理の発見から
有限な92種の元素とその組み合わせにのみによって
宇宙に生存できるということを学んだのだ。
人類はこの1世紀間で
概念の無限性よりも
掛け替えられる物理的な永遠性を
理解できるようになったのである。
超ウラニウム(例えばプルトニウム239)を、
さらには超超ウラニウムを
自ら被曝しながら巨大加速器や原子炉で追いかけるための
建造費が巨大なことを自慢にする科学者たちは
「きりがない素粒子や元素の存在」を前提にした
無限宇宙観の信奉者にすぎない。
(2011年、原子番号114番目の元素が間もなく周期表に追加される)
そして
この超専門分化した科学者たちの
競争意識に燃えた偏向した思考が
原子力による無限エネルギーへの信仰を
生んでいるのである。
2011年8月6日 梶川泰司
「シナジェティクス」カテゴリーアーカイブ
反・節約
太陽系に原子核反応を制御する原子炉は
太陽だけで十分である。
この豊饒なエネルギーを
太陽までの平均距離約1億5000万kmを隔てた場所で
意図的に受け止めない
テクノロジーがあるだけである。
彼らの節約は
宇宙エコロジーに反した
近視眼的で局所的な行為だ。
自然はけっして
局所的に節約しない。
分析(分割)と統合
分析は一種の破壊なので
比較的簡単にできるが
統合することがより困難なのは
より思考するエネルギーだけではなく
発見が必要だからだ。
原子核物理学は大きな原子を壊して
小さな原子をつくることには成功したが、
エネルギー自体から
自然に存在しない元素を創ることに
まだ成功していないだけではなく、
もっとも原子量の少ない水素を
創ることさえできていない。
すべての元素を
もっとも簡単な水素から作る方法を
知るだけではなく
実践できたのは
宇宙だけである。
シナジェティクス
科学的・数学的な発見や発明は
人間以外とのコミュニケーションから
生まれてきた。
シナジェティクスにおける発明・発見の才も
非人格的な領域との同時的・非同時的なチューニングによって
拡大し増幅する。
現在の教育システムは
尊敬のない人格との同時的なコミュニケーションに
依存し過ぎている。
アイデア
本当のアイディアというのは、
どんな場所に置かれても
解釈不能な意味が残るはずだ。
なぜなら
人間が作っていないからだ。
放射性(=Radiational)
RTとはReTweetであるが
間違った情報もすぐに拡散(Radiational Tweet)される。
物質も情報も放射性に満ちている。
統合はいつも僅かである。
再生的思考
課金メータのない再生的宇宙を
排除するために
地下から採掘した原子核を
わざわざ壊して学ぶことから
ついに
自然のエネルギーを
永続的に利用できなかった。
光や風、そして波や水、、、
それ自体が統合された自然は
つねに再生的である。
どこでもありふれているように。
不足しているのは
科学ではなく
われわれの思考力(=メタフィジックス)である。
分割思考
原発の核爆発は
<Think global, Act local.>によって
分割して支配された結果である。
東電にも国家にも
管理技術は存在していなかった。
製造管理技術は
すべてグランチが所有している。
統治に必要な分割思考は
義務教育によって推進されている。
宇宙エコロジー
人類に対する
外部被曝も内部被爆も、
バイオスフィアにとっては
すべ内部被爆である。
核物理学や放射線医学の概念には
観察者の宇宙エコロジー的階層(レイアー)が
不在である。
フィジックスが
メタフィジックスを無視した
地球エコロジーの段階から
太陽系を含む宇宙エコロジーへと
移行しなけければならない。
☆参照
『宇宙エコロジー』バックミンスター・フラー+梶川泰司 著(美術出版社 2004)
構造
構造を主体的に変えられない。
構造は経済的に換えらない。
構造を政治的に代えられない。
構造はイデオロギー的に替えられない。
流転して自己破壊する現象は
主観的に傍観できるだろう。
社会は構造を定義していない。
原子核構造以上にはまだ定義されていない。
われわれは構造の安定性を
冷温停止状態と定義したに過ぎない。
もっとも安全な構造を
<運転停止>に求めているが
宇宙の核反応を人間はけっして停止できない。
宇宙の構造は
つねに客観的に
エネルギー的にのみ動的に変換されている。
宇宙の構造に停止を望むことは
主観的にしかできないだろう。
