日別アーカイブ: 2011年2月20日

(続)記号

「大事な人生」や「残された時間」
この記号だけで個人は互いに分断可能だ。
実際、これで他の69億の個人をすっかり
忘れることができる。
こうして、記号のテクノロジーは
芸術や法律、規範などの
個人と個人とを結び付ける
およそ空気のような文化圏として
日々呼吸されるすべての記号に
関与することができる。

記号

起源の実情をだれにも分からないように
理解させているのは
記号のテクノロジーである。
「個人」という記号が
分断された意味と目的の寄せ集めか
その組み合わせだけで”成立してしまい”
その起源を知らなくとも
なんとか切り抜けられるのは、
自分をあざむいていることにさえ
気づかないまま
人生をあまりにも重要なものと
思わすことができるからだ。
ほとんどの記号は個人よりも
リアリティに仕えている。